お侍様 小劇場 extra

     お散歩、仔猫 〜寵猫抄より
 


      2



 ゆっくりとその身を温めた風呂から上がると、家の中は何とも静かで。手早く乾かした髪をうなじへ簡単に束ねつつ、洗濯機のタイマーを翌朝の定時へとセットしてから、さあと脱衣場を後にした七郎次、

 「?」

 屋内の気配への違和感へ おややとその青い双眸を瞬かせる。確かに夜半を過ぎれば殊更静かになる住宅地であり、この邸は特に、客人でもない限り、日没後の閑たることといったらなかったのではあるが、それも半年前までのお話で。今でもさほど大騒ぎをするような家ではないものの、その趣きの中に何とはなくの活気が増した。小さな小さな家人がたった一人増えただけだというに、その坊やが寸の足らない手足弾ませ、とてとて駆け回る姿を目にするそれだけで、こちらまでもが心浮き立ってしまうのだから、その威力は大したもの。それが…順番に風呂に入るべく、ほんの小半時ほどを傍らから離れただけだというのに、屋敷中が妙に静まり返っている。先に湯を浴び、いい匂いになって戻って来た勘兵衛へ、にゃあにゃあと それははしゃぎつつ、雄々しい肩へ広い背中へ駆け上がりかねぬほど じゃれついていた久蔵だった筈なのに。

 「……勘兵衛様?」

 どこかから転げ落ちただとか、何か飲み込んでしまっただとか。何かしらの事故でもあったなら、静まるどころか逆に大騒ぎになっているはずだろうとは、後から思いついたこと。一体どうしたものかという案じの方が強いまま、先程そこから離れたリビングへと向かえば、

 「…。」

 今宵はそれほど冷え込まぬからと、年代ものながら今年も重宝している薪ストーブにも火は入れぬまま。床置きの月を思わせる、優しい真珠色のフットライトが丸く灯されただけの空間は、それは暖かな静けさに満ちており。小さな似非月の傍らに置かれているのは、分厚いクッションに綿の入った縁取りをつけ、ウサギの毛皮を敷き詰めてこしらえた、半畳ほどはあろうかという子供用の寝間。本来は小さな小さな仔猫なのだから、あまりに大きすぎても風通しがよすぎるのではないかと案じ。鏡でたびたびバランスを確かめ確かめ、本人にも昼寝をさせてみて、どれほど空間が余り倒しているものかをチェックした上で完成を見た、新しい家人のための居心地のいい寝床であり。その持ち主さんはと言えば、今はそこにその身を丸くし、やさしい線で描かれた天使画のように、ふわふわとした金の綿毛を乗っけた あどけない横顔を無防備にさらしたまんま、くうくうと穏やかな寝息を立てて眠っておいで。

 「…もう?」

 ただでさえ匂いや音には敏感な仔猫が相手。声を立ててはいけないだろことは、すぐ傍らで眠りの番をしていた勘兵衛が、その口許へわざわざ指を立てて見せずとも、七郎次にも察しがつきはしたけれど。ほんのすぐさっきまで、そりゃあ元気にはしゃいでいた子だ。それがこの様子という大きな落差とあっては、怪訝に感じもするというもの。彼と同じように厚手のラグを敷いた上へとお膝を落とし、優しい明かりの中、坊やの寝顔を覗き込めば。柔らかそうな口元間近に寄せられた小さな手元や、まだまだ薄い肩の丸みの、何とも言えぬ頼りなさへと、胸のうちがやんわりと擽られるような、はたまた か弱き力でつねられているような、そんなそんな切ない想いに襲われる。安らかに穏やかに、何の杞憂もないまま安心しきって眠る姿がそのまま、自分たちまでもを癒してくれるかのようで。

  ……とはいえ

 そんな坊やの寝床の傍らに、ふと目に入ったものもあったので。そちらにも気づいた七郎次としては、

 「勘兵衛様。」
 「?」

 何だ?と、極力物音は立てないように構えているらしい彼に気づいて。どうしたものかと たじろぎかけたのも一時。勘兵衛が構想メモにと使っているメモ用紙の束を、膝立ちという格好で身を伸ばしての手に取ると、そこへすらすら書き込んだのが、

 『あまり はしゃがせ過ぎるのも考えものです。
  こんな寝かせ方を続けると、
  どんなじゃらしようへもすぐに慣れてしまっては、
  もっと強い刺激じゃないとと求めるような、
  落ち着かない子になってしまいます。』

 寝床の傍らにあったのは、久蔵と遊ぶためにと彼らで買ったり、知己が持って来てくれたりした“猫じゃらし”のあれこれで。今のところは人間の子供と同んなじで、時計の短針が上りにかかる頃合いになりゃあ、自然とうとうとし始めるような“昼型”の彼だから。無理から寝かしつけずとも、適度な時間帯になれば自分から寝床にもぐってしまうのだけれども。

 「そうか。ならば気をつけねばな。」

 そこへとたくわえたお髭ごと自分の顎先、武骨そうな指先で撫でながら、ほおほおと感心したようにメモを眺めていた勘兵衛が、今度は声を発して応じたは。そうまで絞れば拾われぬと判断したらしき、掠れさすほど低めた小声が届くほど。すっと腰を浮かせての身を起こし、七郎次の耳元へまでお顔を近づけて来てのこと。そもそれほど遠かった訳じゃあない。明かりを落として、しかもソファーなどを置かない空間に、無造作な座りようでいた勘兵衛だったので、自然とこちらもほんの間近へまで寄っていた七郎次であり。それでも一応はと 空けておいた間合いのようなもの、あっさり乗り越え、吐息が触れるほどにも近づいた御主の思惑のほど。さんざじゃらしてこの子を寝かせたことからも、何とはなく察していはしたけれど、

 「あ…あのっ、////////。」

 ああどうしようと、ついつい気持ちがすくんで、その身も強ばる。相手が怖いとか何とかいう“拒絶”の意からじゃあなく、とある行為へなだれ込むのへ“嫌悪”を感じる訳でもなくて。強いて言うなら最後の砦が、ついのこととて抵抗を図る。いけないことではありませぬかと、これ以上の深まに嵌まっては後戻り出来なくなりませぬかと、なけなしのモラルとやらが立ち上がるのかも。とはいえ、

 「?」

 如何したかと屈託のないまま目顔で訊かれると、ああそれだけでもうもう抵抗出来なくなる。自分よりもほんの少しほど上背の勝る勘兵衛は、表向きには年相応の落ち着きをまとっての納まり返っているものの、依然として武道の精進も欠かさぬお人ゆえ。実年齢が四十の大台に乗ってもなお、体躯も気勢も雄々しく精悍なままであり。その大きな手や強靭な腕で余裕を持って引き寄せられると、それでもう気持ちの半ばまでは呑まれてしまう。逃れられぬと思うからじゃなく、このまま攫ってってほしいとさえ思わせるような、一種の魔性のようなもの、その頼もしくも猛々しい雄々しさから自然と感じてしまうから。

 「ん…。////////」

 実直な視線に呑まれてしまい、何とも二の句を告げずにいる年下の情人へ。いつまでも可愛いことよと甘く微笑ったそのまま そおと。お顔を近づけ、唇重ねてやったれば。未だ少し堅さの抜けない青い躯が、含羞み半分、ぎこちなく身じろぐのがまた擽ったい。軽い口吸いでは許してやらず、緩々と啄んだり咥えたり咬んだり。甘くて柔らかな感触に酔わされてのこと、やがては向こうからも応じて来るまでとの巧妙に煽ってやれば。そんなの末に…こうまで間近で視線を重ねるのはまだまだ恥ずかしいものか、

 「〜〜。////////」

 口許が離れると、すぐにもこちらの肩へと顔を伏せたところがまた初々しくて。そんな素振りも愛しいと、擦り寄る肩を抱きしめてやって。腕を渡して背中を包むそのついで。間に合わせにと束ねられた金絲に手を伸べて、ゴムの入った紐を無造作に引き、あっさりほどいてしまう勘兵衛で。たちまち鼻先へと届くのは、洗い髪がまとった甘い香の華やかさ。その手触りを愛しんで、指を差し入れ何度も梳けば、

 「……、勘兵衛様。///////」

 これ以上の何かしら、幼子の傍でというのは気が咎めるか。そおと見上げて来た双眸の潤みが、戸惑いや含羞みに揺れていて。

 “これ以上困らせるのは大人げないか。”

 この嫋やかな見栄えにもかかわらず、日頃は強気で、例えば間貸ししている家作の賃料の滞納者へは、どんなにおっかない店子の居座りや居直りにも怖じたりせずに応対出来て。時には勘兵衛が相手でも、一端
(いっぱし)な つけつけとした物言いをし、勢い任せに言い負かすことさえあるくせに。真っ向からの情をそそぐとその途端、大きにうろたえてしまうところは まだまだ青い。まるで何ごとかに追い詰められでもしたかのように、だったら追い詰めた相手にあたろう勘兵衛へと向けて“どうしましょうか”というお顔をするのが、こちらもまた困らされてしまう難儀な恋人さんだから。続きはもっと強かな彼になってからだなと、苦笑を零して ああと頷き。ちょっぴり子供じみたお顔になってる愛しい人を、ひょいと双腕(かいな)へ抱き上げてしまうと、有無をも言わさずのそのまんま、寝室のほうへと歩みを運ぶ、作家先生様である。そして……、







  
zzzzz、zzzzzzzzzz………、


 夜更けの自分たちの甘やかな過ごしようを、その鋭敏な感知能力で気づかれ、何と思ってか割り込まれでもした日には。他でもない七郎次が、大いに恥ずかしがっての困るだろからと察してのこと。さんざんはしゃがせ、念を入れた寝かせようを仕掛ける勘兵衛なのももはやお約束だったりし。今宵もまた、そんな大人の目論みにあい、いっぱい遊んでもらったその末に、ぐっすりと寝入ってしまった小さな家人。無邪気にも踊らされてのことながら、深く深く熟睡していたのだけれど。

 「………………、…?」

 ふと。何かしらの気配でもそよいだか、ふわふかな寝床へ白い頬を押しつけての横向きに、ただただ無心にくうくうと寝入っていた稚
(いとけな)い寝顔が、うにゃいとほどけて。無心でいたその表情には変化も浅いが、うっすらと開いた双眸に、潤みの赤が深い色合いで表へと覗き、何かにつつかれてのお目覚めだというのが察せられ。まずはと肘つき、それからそれから。ふくふく小さなお手々を丸ぁるいお膝の傍へとついて。よいちょと起こした可憐な肩や背、まだ眠いのにと萎えての小さくすぼめたまんま、

 「みゅう〜〜〜〜?」

 か細いお声で糸のよに。長鳴きをしたその音色が、何へと弾けたものだろか。小さな坊やのその身の輪郭、丁度、今お空にある月と同じ色合いにぽうと光って点滅を始める。優しく柔らかい真珠色の光が、まだ眠いのと目元が開かない坊やのその身を、やや強引にも吊り上げ引き上げ。へたりと座り込んだところで、そのまま固定して。幼い坊やの小さな肢体、いつしか内側からもとくんとくんと光り出し、少ぉしずつにと育った光が、輪郭に宿った光を追い越しかかったその刹那、

  ――― ぱぁん………、と

 音はしなかったけれど、それほどに鮮烈なはちきれよう。薄く薄く張ってた玻璃の膜が、何かで一気に弾け、辺りへ破片をまき散らかしつつ、そりゃあ粉々に砕けたような。さあっと周囲へ光を降りまき、何かが弾けた気配が確かに羽ばたき。その破片だろう光の粒を、髪や肩、相変わらずに眠そうな開きようの目許や、羽衣のようにひらひら泳ぐ、五色七彩、あでやかなその衣紋の縁なぞにまといつけ。幼子の姿と入れ替わり、いつぞやにもお顔を見せた、妖異狩りの精霊がその長じた姿を現している。

 「………。」

 袖のない厚絹の長着の下へ、色とりどりの絽の小袖、そんな風変わりな衣紋を重ね着ており。綿毛のようなふわふかな趣きこそそのままの、けぶるような金絲の髪を頭に載せているものの。面差しは玲瓏繊細、肢体も若木のように伸び、風貌はすっかりと大人びた雰囲気のそれで。

 「………………。」

 へたり込むような座り方のままなのは、目覚めたばかりな故のこと。膝の上へと無造作に投げ出していた手を、お顔まで上げてのじっと見つめて、さて。


  「…………………………………………………?」


 ……もしかして、まだ寝ぼけていませんか?あなた。






     ◇◇◇



 暦の上では次々に、春の催しがやって来て。もうすぐそこの春の訪のい、日めくり剥ぐよに知らせるけれど。何の実は今時こそが、冬将軍も踏ん張る厳寒。最後の寒波をシベリアから大陸の南縁、そこに居並ぶ日本へまでと、容赦なく押し下げて来る頃合いでもあって。昼間の陽がどれほどのこと温
(ぬる)んでも、夜半の帳の底にわだかまって動かない、そりゃあ頑固な冷気の凍りようはまだまだ厳しい手のそれで。

 《 ………。》

 そんな大気をなみなみと満たして、木々さえ凍える玄冬の底。今時には珍しい方だろう、鈍鉄色の瓦が整然と敷き詰められた屋根の上へ、すっくと立っている存在がある。時折吹きつける風に、裾の長い衣紋とそれから、背中まで下ろしたつややかな黒髪をなぶらせており。だというのに…どうしてだろうか。この寒空に凍えはしないかというような、案じる気持ちを感じさせない、それだけの威容のようなものをまとってもいる不思議な存在でもあって。岩でも想起さすような、頑健屈強な体躯じゃあないし、やたら挑発的な恐持ての主でもない。むしろ、文人軍師ででもあろうかという怜悧な印象の、その身もさして雄々しいほうじゃあない、むしろ痩躯と言った方が相似
(そぐ)うような男。ただし、単なる痩せとは格が異なり、ようよう使いこなされた鞭のように、細身ではあるがそれは鋭くも引きしまっての強かそうな風貌は、その身のうちへと通った芯のようなものの強靭さと、何物をも圧倒しそうな堅くて高い自負をも匂わせて…いたのだけれど。

 《 …?》

 高い襟の外套の裾がひらりとひるがえったその先に、ふと、何かの気配を感じ取り、視線を流して…ぎょっとする。

 《 きゅ、久蔵?》

 自分の二の腕自分で抱いて、この男には珍しく、いかにも寒いと言いたげなお顔ですぐ背後へと現れた朋輩へ、

 《 ……何でまた、そのような軽装でおるか。》

 言いたいことは色々あったが、最も妥当だろう一言を浴びせつつ、パチンと指を鳴らし、相手の細い肩へと自分のと似た形の外套を出してやれば、
《 出し方を知らぬ。》
《 形や質を念じれば良いだけだろうに。》
 もぞもぞ着込む様子も何とはなく覚束ないのを ええいと見とがめ。肘からではなく手から入れぬか。だあもう、一旦出せ出せ、そうそう片側ずつ落ち着いて。窮屈なのなら別にベルトは締めんでいいから…って。
《 なんでまた、コートの着方なんてところから入らにゃならんのだ。》
 相変わらずに面倒な奴よと、はぁあと肩を落とすほどの溜息をついてから、

 《 で? 何でまた、こんなところまで出向いて来た?》

 本来だったらまずはと訊いただろう本題を、やっとのことで訊いたのは。こちらもやはり妖異狩りであるらしき、兵庫という名のご同輩。特に組んでいよとの宣命があった訳ではないのだが、腕は立つのにその他がごっそりと足らない彼を見かね、兵庫が勝手に世話を焼いてやっているという関係であり。1つの時代の一つところに居続けはしないのがセオリーのはずだのに。それが…この宿世に限っては、この寡黙な朋輩、妙に此処から離れたがらず。仕方がないのでと、兵庫までもが居着いてる次第。付き合いがいいにもほどがあると、他でもない自分でもそう思うのだけれども。

 《 袖擦り合うも多少の縁。》
 《 関わり合ったが身の不幸って言い回しもあるんだがな。》

 こめかみに血管が浮いてしまうような物言いも相変わらずで。まったくもうもう。お前最近、口が回るはいいが、妙なことばっか言い出してないか。いやいや、皆まで言うな、あんの髭づらの中年文士野郎からの影響だろうが。
《 中年ではない。》
《 ほほぉ。四十代なら立派な中年だろうが。》
《 〜、〜、〜。(否、否、否)》
 違う違うとムキになってかぶりを振ってから、

 《 壮年と言うのだと、本人が言うておったぞ。》
 《 ほほお…。》

 厳密に言うと…働き盛りな年頃という意味なんですよね、実は。
(苦笑) 雰囲気の問題で、成年の少し年嵩組という意味合いに使っております当方ですが、そういう裏の事情はともかくとして。

 “そうやって要らぬ方向でばかり理屈をごねるようになりおって。”

 幼稚園へと通い出すと、お母さんが言うことよりも先生が言うことのほうが正しくて大事になるように。まあまあ選りにもよって、あんなややこしい中年の屁理屈に染まりつつあるとはなと。いかにも忌ま忌ましいと言いたげに、細い眉をばググッと顰めた、黒髪の妖異狩りではあったれど。

 《 なんで、こっちに来た?》
 《 あ? ………ああ、昼のあれか。》

 兵庫の側では特に呼び出してもない。なので、何で今宵に限って来たのだと訊いたほどだったが。それへの久蔵の側からの答えがそれだったらしく。
《 そっちへ行ったというか。あの女の後を尾けてただけだ。》
《 雪乃殿?》
 そうと口にした久蔵が、自分らが立つ瓦屋根を見下ろしたのは。そここそ、あの和装美人の住処であり、この黒髪の同輩殿の居座り先でもあったから。直接逢ってはないけれど、久蔵もまた知ってはいたので。意識に封した仔猫の身へも、何とはなくの親しみが沸いてのそれで、ついつい飛びついてしまったものと思われる。
《 …そういえば。》
 人にも猫にもつれない黒猫。それが出先までついて来るとは珍しいと、雪乃さんも言ってはなかったか? それがわざわざ遠出をしたとなると、余程のこと事情があってに違いなく。
《 妖異?》
 自分たちがそうまで動こうと感じるものといやあと、思い立ったそのままを訊いた久蔵へ、
《 いや、もっと他愛ないものだ。》
 言ってから、だが、うむむうと目許を顰めると。髪に手をやり、細い指にてがりがりと頭を軽く掻いて見せ、

 《 雪乃殿は、ストーカーという手合いに遭っているようなのでな。》
 《…すとーか?》

 はて?とたちまち小首を傾げた金髪痩躯のお友達へ、
《 勝手な思い込みから、気に入りの相手へ一方的に付きまとう変人のこった。》
《 盛りはまだだろ。》
《 ……猫の話じゃねぇよ。》
 あああ、何でこうもすかさずの合いの手が打てるほど、こいつの端的な話しようが分かる自分なのかねと。仄かながらも自己嫌悪を感じつつ、
《 誠実な人間の、順を踏んだモーションならば、多少は汲んでやろうという気も起ころうものだろうがな。ほとんど単なる通りすがり、毎日顔を合わせるのは向こうの通勤の途中に店があるからだし、愛想がいいのは誰へでもだってのに、何をとち狂ったか彼女のほうに気があると思い込み、会社帰りから夜更けまでのずっとを、店の近辺へ張り付くように佇んでやがる。不審者通報されても一向に懲りねぇで、それどころか 誰かが自分らの純愛を妨害していやるとの、一方的な手紙とか張り紙とかしやがってな。》
 本人は“困ったことねぇ”と微笑って、上手に取り合わないでいる女傑ではあるが、

 《 この何日か、このご近所で刃物を振り回す通り魔の噂が立っててな。》
 《 ……。》

 今んところは騒がれると逃げてく程度ならしいけど、誰も彼もが敵に見え始めたらしいんで、それで。昼日中も危なかないかと、傍に張り付いてたって訳だ。しょっぱそうなお顔をする同輩どのへ、さして感慨はないような、相変わらずの無表情を向けたまま、

 《 で?》
 《 どうすんのかってか?》

 さてな。こないだの空き巣野郎と違って、正気じゃあない分、仕置きをしても効果はなかろう、むしろますます歪むだけかも。いたちごっこ、いやさ、モグラたたきみたいなもんだが、襲って来るのをいちいち追い払うしかねぇよと。面倒なこったとばかり、ククッと苦笑った彼なのへ、

 《 ……歪みなら、邪妖の仕業かも。》
 《 あん?》

 突拍子もないことをぼそりと言って。何だってと訊き返した兵庫を残し、ひらり飛び降りた彼の手には。いつの間に召喚したそれか、悪妖退治の退魔の刀。何かが憑いたか、それとも育てたか。妄執は時として精神に巣喰う妖異をも生むことがあるから、そこを何とか出来るかも…と。夜風に外套ひるがえし、何かが澱んだ町角の闇だまりへと、その足取りを差し向ける久蔵で。

 《 おい。》
 《 以前、お主が言ったのだ。》

 人と人との縁
(えにし)には、あまり関わらぬ方がいい。ちゃんと想い合っていながら、なのにもつれていようとも、結句、当人同士が何とかするもの、そうでなければ意味がない。ましてや俺らはどんな相手へも“傍観者”だから。どう転んでも空しいだけだぞと、妙にあの二人を気に入りとしていて、うまく噛み合わぬところが気になるからだろ、居残り続ける久蔵へ。半分くらいはそんな彼をこそ思ってやっての言いようをした、そんな兵庫だったのを、こっちもちゃんと覚えていたらしく。

 《 傍観者には空しいだけと、そうと言った奴が何をしている。》
 《 ……っ。》

 もともと感情薄い彼だから。揶揄していようがいまいが、そんな匂いのする態度や口利きはどっちにしたってしないのだけれど。暗に“雪乃を案じているのだろう”と、そんな小癪な言いようをした久蔵、心なしかその横顔がほんのりと柔らかく、微笑っているように見えもして。揶揄や嘲笑という意地の悪いそれじゃあなくて、小気味のいいことへと喜んでいるような、そんな暖かい微笑い方だったもんだから。初めて目にする綺麗さへ呑まれたように身がすくみ、

 《 ……あ、こらっ。勝手なことをっ。》

 妖異をのみ斬る刀。だけれど、精神までもを蝕まれているのなら、その意識にも多少は殺気が映りもしよう。どうやらこちらが見えてるらしく、大太刀引っ提げた存在の接近へ、ひぃいいぃぃっと怖じけて尻餅ついて、大きに怯む大の男を真っ直ぐ見据え、わざとに大きく振りかぶり、その刃を月光で青々と染めさせた久蔵が…果たしてどのような仕置きをしたものか。彼らの他には、凍夜の月だけが知っている……。



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  *もうちょっこと続きますvv

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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